「八百万の神」と言われるように日本には、実に様々な神がいて、日々の生活を見守ってくれています。そして、それら神々が祀られているのが神社です。人々は、ごく自然にその領域に集まり、お祭りなどの催しを行い、神とひとときを過ごします。いにしえより続く当たり前の日常が、今もなお続いているという現実。目には見えなくとも、どこかしら神を感じてホッとする、そんな空間がそこにはあるのかもしれません。
こちら月読神社には、月読尊(つくよみのみこと)という神が祀られています。月読尊は、日本神話における男神・伊邪那岐(いざなぎ)の右目より生まれたとされており、眼病平癒にご利益があるとして知られています。事実、過去の宮司には、眼病が治った方もおられるとのこと。このご利益、見逃せません!
また、”見る”ということから「先見の明」に通じ、先を読む開運の神・厄除けの神としても崇拝されていますし、他にも、”月読”より「月の引力」に通じ、潮の干満に影響される安産、海上安全、五穀豊穣、大漁などの祈願に、ご利益があると言われています。
トップを飾る写真は、毎年1月23日~25日の3日間、月読神社で執り行われる「三夜さま」と呼ばれる祭礼での一枚です。いつもは静かで趣ある月読神社なのですが、この時ばかりはガラリと雰囲気を変え、沿道に露店が立ち並びます。定番のいかやきやチョコバナナに混ざり、ひときわ目を引くのが、植木市の存在です!他の神社ではあまり見かけることのない植木の露店なのですが、実は三夜さまにおいてはこちらが目玉であり、人気店。というのも、目に霊験あらたかな月読神社ということから、芽(目)がよく出ると願掛けされており、大変な人気商品となっているのです。
このように、子どもだけでなく、大人にとっても楽しさ満載の三夜さま。どこか懐かしさを感じさせてくれるお祭りを見に、あなたも訪れてみませんか。
月読神社には、以下のような由緒が伝えられています。
その昔、竹野郡二田村(現 久留米市田主丸石垣)に、林次郎と三郎という青年が住んでいました。その母親は目を患っており、手を尽くしたものの治らず、途方に暮れていました。そんな折家族に、村の長老から「月讀命を祀る祠がある」ことが伝えられ、次郎と三郎はお詣りを始めます。それは、来る日も来る日も、欠かすことなく続けられたといいます。大雨が降り、祠が水没してもなお祠ごと家に運び入れ、母親ともども拝み続けたのです。すると、天文3年(1534年)1月23日の朝、起きた母親の目が突然見えるようになっていた。というお話しです。
他にもあります。両目を患う古賀又左衛門という男が、ある夜夢の中で、「両目の病を治したくば、月読の神が鎮座する二田村を訪れよ」と月読尊からのお告げを受けます。そこで男は次郎と三郎宅を訪れ、毎日祈願を続けたところ、なんとたったの17日間で両目の病が治ったというのです。
立て続けに月読神社の力を見せられた人々は、口々にその話しを語るようになります。すると、たちまち噂は広がり、次郎と三郎宅には、眼病平癒を願う方が絶えず参拝に訪れるようになっていきます。
月日は流れ、寛延2(1479)年。娘の目の病を治すべく、柳川藩(現在の福岡県柳川市)藩主が代参者を林次郎と三郎宅へ赴かせ、祈願を行ったところ、37日後に見事娘は回復します。
これにより、柳川藩・藩主は感謝の意を込め、立派な社を建て、大雨の日より次郎と三郎宅に移動したままだった祠を移すこととなり、そしてそれこそが、現在の「月読神社」と言われているのです。
いかがでしょうか。
実は、月読神社の創建年は、分かっておりません。でも、これほどまでの言い伝えが、今もしっかりと残っています。これはつまり、どれほど月読神社が大事にされ、人々が信頼を寄せていたかの証です。
あなたも、月読尊のパワーを間近で感じてみませんか。